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浦和地方裁判所 昭和59年(ワ)724号 判決 1987年12月28日

原告

ヒノデ株式会社

右代表者代表取締役

長谷川雅実

右訴訟代理人弁護士

小篠映子

服部訓子

被告

植野正己

主文

一  被告は、原告に対し、金六二一万九〇一三円及びこれに対する昭和五九年一〇月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、乗用旅客自動車運送事業等を目的とする会社(いわゆるタクシー会社)であり、被告は、原告会社との間で雇用契約を締結して、原告会社の市川営業所においてタクシー運転の業務に従事していたものである。

2(一)  原告会社は、被告に対し、昭和五三年四月二〇日、同年五月二〇日限り解雇する旨通告したところ、被告は自己を債権者とし、原告会社を債務者として、千葉地方裁判所に地位保全等仮処分を申請し(昭和五三年(ヨ)第一六九号)、同裁判所は、昭和五六年四月二七日、主文を一 債権者が債務者に対し、同社市川営業所のタクシー運転手としての労働契約上の権利を有する地位を仮に定める。二 債務者は債権者に対し、昭和五三年六月二八日以降本案判決確定に至るまで毎月二八日限り金一〇万五四〇七円を仮に支払え。」(主文三、四省略)とする判決(以下「本件仮処分判決」という。)をした。

(二)  そこで、原告会社は、被告に対し、右判決に基づき、昭和五三年六月一日から同五六年四月末日までの分として月額金一〇万五四〇七円の割合による三五か月分の仮払金三六八万九二四五円を支払つたうえ、昭和五六年五月から同五八年四月までの二四か月にわたり、毎月二八日限り月額金一〇万五四〇七円を支払い続け、その支払総額は合計金六二一万九〇一三円に達した(以下右仮払金を「本件仮払金」という。)。

3  ところで、原告会社は、右判決を不服として東京高等裁判所に控訴したところ(昭和五六年(ネ)第一一〇五号)、同裁判所は、昭和五八年五月二五日、主文を「原判決を取り消す。被控訴人の本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」とする判決をした。これに対し、被告は、最高裁判所に特別上告を申立てたが(最高裁判所昭和五八年(テ)第二六号)、最高裁判所は、昭和五八年一二月六日、主文を「本件上告を棄却する。上告費用は上告人の負担とする。」とする判決をした。

4  以上の経過で本件仮処分判決の取消が確定したから、被告は原告会社に対し、取消による原状回復または不当利得として本件仮払金を返還すべきである。

<中略>

第五 証拠関係<省略>

理由

一仮処分判決とこれに基づく金員支払い等

請求の原因1ないし3の各事実は当事者間に争いがない。

二仮処分判決の取消しとこれによつて生ずる法律関係

1 おもうに、金員の支払いを命ずる仮処分はいわゆる満足的仮処分の典型で本案訴訟の確定、強制執行をまたず、いわば予先的に被保全権利(仮処分債権者の主張する実体的金銭請求権)を実現したのと同様の履行状態を生じさせる仮処分である。

とはいえ、金員の支払いを命ずる仮処分命令を受けた仮処分債務者の義務は、右被保全権利と裏腹をなす実体上の義務ではなく、右仮処分により初めて形成されたものと解される。 そうすると、金員の支払いを命ずる仮処分に基づいて支払われた金員は、仮処分命令を債務名義とする執行手続によるものであると仮処分債務者の任意の履行によるものであるとを問わず、仮処分を「法律上の原因」として支払われたものというべきである。

したがって、本件の場合も、本件仮処分判決に基づき原告が被告に支払つた請求の原因2(二)記載の金員は本件仮処分を「法律上の原因」として支払われたものとみることができる。

2(一) ところが、その後本件仮処分判決が控訴審判決によつて取消され、右控訴審判決が確定したことは前記のとおりである(なお、仮処分によつてされた判決に対しては上告ができず、特別上告は判決の確定を遮断しないから、本件仮処分判決を取消した控訴審判決はその言渡しとともに確定したといえる)。

しかしながら、仮処分判決は、本案判決とは異なり、確定をまたず言渡しとともに命令の効力を生ずるが、仮処分申請事件の訴訟物は被保全権利と保全の必要性によつて構成される保全請求権の存否であると解されるところこれについての判断の基準時は事実審の口頭弁論終結時であるから、仮処分申請を認容した第一審の仮処分判決が控訴審で取消されても将来に向つて仮処分の効力を消滅させるにとどまり既往に遡つて仮処分の効力を消滅させるものではない。

そうすると、右仮処分が取消されたからといつて、右仮処分に基づいて履行された給付は「法律上の原因」を欠くに至つたということはできない。

また、原告は、被告に対する懲戒解雇は有効であるから、実体上も右仮処分に基づいて被告が取得した金員は不当利得であると主張するけれども、前記のように、金員の支払いを命ずる仮処分に基づいて仮処分債務者たる原告から仮処分債権者たる被告に対してされた給付は右仮処分を「法律上の原因」としてされたものであるから、右仮処分が遡及的に失効したといえない以上、実体上右解雇が有効であるか否かにかかわらず右給付に「法律上の原因」がないとはいえない(もつとも、右仮処分の本案訴訟たる賃金請求訴訟(原告となるのは本件の被告であり被告となるのは本件の原告である筈)において原告(本件被告)が敗訴しこれが確定したときは、仮処分は、仮処分制度の目的からいつて遡及的に失効すると解されるが、本件の場合、本件被告が本案訴訟を提起したことの主張立証すらなく、弁論の全趣旨によれば本案訴訟が提起されていないことが認められる。)。

そうすると、原告が被告に対し、本件仮処分に基づき給付した金員を不当利得であるとして返還を求める請求は理由がない。

(二)  つぎに、原告は、本件仮処分判決の取消しによる原状回復として仮処分に基づき支払われた金員の返還を求めうるかどうかについて検討する。

(1)  おもうに、仮処分制度は、債権者の主張する権利ないし権利関係の本案訴訟における実在化ないし実現に奉仕すべきものであるから、金員の支払いを命ずる仮処分のようないわゆる満足的仮処分といえども仮処分の本質たる本案への付随性、仮定性から解放されることはできない。

したがつて、仮処分債権者が満足的仮処分に基づいて仮の満足を得た場合にも、仮の履行状態が作出されただけであり、右仮処分が上訴等によつて取消されない限り、本案判決確定まで右仮処分はその効力を有し(だからこそ、満足的仮処分に基づく履行ないし執行が了えた後も、仮処分異議や上訴が許されるのである)、仮処分債務者は右仮処分命令に基づいて給付した金員につき仮処分債権者に対し返還を求めえない。

(2)  これに対し、本件の場合のように仮処分判決が上訴審において取消され確定した場合はどうであろうか。

この場合の法律関係について明定した法規はない。

そこでこの場合の法律関係をどう解すべきかについて考えてみるに、仮処分の取消しは遡及効を有しないから、仮処分がなかつたことにはならないが、仮処分は取消されたのであるから、仮執行宣言に基づく仮執行後の原状回復について定めた民訴法一九八条の趣旨に照らすと仮処分債権者は仮処分が取消された時点で仮処分債務者に対し、原状回復義務を負うに至つたとみるのが相当である。

そして、右の原状回復義務は、実体上の法律関係とは関係なく、仮処分の取消の確定自体によつて発生すると解すべきである。けだし、仮処分が取消されても実体上の法律関係の確定(本案訴訟における仮処分債権者の敗訴確定)をまたなければ仮処分債務者は右仮処分に基づき履行した金員の返還を求めえないとすると、次のような場合が生ずることになり、当事者間の法的手段の均衡という点からみて合理的とは思われない。

すなわち、本件のように債権者が満足的仮処分を得てこれに基づく給付を得たまま本案訴訟を提起しない場合がそれである。

たしかに、仮処分債権者が満足的仮処分を得てこれに基づく履行を得たまま本案訴訟を提起しない場合には仮処分債務者としては起訴命令を申立て(民訴法七四六条参照)本案訴訟の提起を促すという途を有するものの、起訴命令を申立てる前に仮処分が取消されたときは、この途は閉ざされ、自ら賃金債務不存在確認訴訟を提起してその確定をまつほかないこととなるが、債権者が疏明手続で得たものを仮処分が取消されているのにこのような方法でしか返還を求めえないとすることは均衡を失するというほかないであろう。

そうすると、仮処分の取消しによる原状回復として本件仮処分判決に基づき支払いを受けた金員相当額と右仮処分の取消しの確定した時(前示のとおり)以後である昭和五九年一〇月三日(本件訴状送達の日が昭和五九年一〇月二日であることは本件記録上明らかである。)から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める原告の請求は理由がある。

三むすび

よつて、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小笠原昭夫 裁判官平林慶一 裁判官永井裕之)

別紙従業員就業規則(抄)<省略>

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